熊本県 蒲島知事にお話を伺いました。
澁谷:ご著書『逆境の中にこそ夢がある』を拝読し、感動いたしました。
その中でも多くの御苦労をされたエピソードがありましたが、特に印象に残っていることについて教えてください。
知事:逆境がなかったら、今の私の人生はなかったような気がします。逆境で失うものが何もなかったからこそ、様々な冒険の日々を送ることができたと思います。
1番目のリスキーな冒険は、アメリカに渡ったことです。21歳の時に日本での農協職員という職を捨てて、農業研修生としてアメリカに行きました。その研修では、農業や肉牛経営が学べると知り、子供の頃の夢の一つであった「阿蘇で牛を飼って牧場を経営する」という夢が実現できるかもしれないと思い、人生で初めての大きな決断をしたのです。
渡米先では、語学研修の後、農業実習を受けるプログラムが用意されていましたが、オレゴン州のリンゴ農場やアイダホ州の牧場での実習など、早朝から夜遅くまで休みなくクタクタになるまで働きました。今まで農業の経験がなかったものですから、アメリカのボスからすると役に立たないわけです。そういう意味では、存在そのものを否定されるようなことを感じることもありました。しかし、ネブラスカ大学農学部での学科研修は私にとって、大きな転機となりました。
ネブラスカ大学での学科研修は大変興味深い内容で、「勉強というのは、農場の仕事よりもこれほど楽で楽しいものなのか」と感じ、勉強に明け暮れました。その後、「大学でもっと勉強したい」という思いを胸にネブラスカ大学を受験するも、現実は厳しく、結果は不合格になりました。その時はひどく落ち込みましたが、チャレンジをすれば必ず拾ってくれる人もいると感じることがありました。それは、ネブラスカ大学の受験前に、私が通訳の仕事を務めていた学科担当の講師であったハドソン先生との出会いです。先生が入試担当官に「蒲島はやる気のある学生だからチャンスを与えるべきだ。」と掛け合ってくれたことで、6ヵ月間の仮入学のチャンスをいただきました。その限られた期間と、日本から片道切符しか持ってきていないプレッシャーの中でのチャレンジは、大変ではありました。しかし、大学に入れた喜びはそれ以上でしたので、これまでの人生の中で一番の猛勉強をすることができました。その結果、ストレートA(オールA)という成績を修め、その希少性から、ネブラスカ大学の特待生として奨学金や授業料免除を受けられるようになりました。
2番目はハーバード大学で大学院に行こうと決めたことです。今までネブラスカ大学で研究していた「豚の精子の保存法」とはかけ離れた「政治学」を選択しました。やっていけるか不安でしたが、ハーバード大学というのはすごい所で、授業料免除、奨学金付きという条件で入学させてくれました。お金がなかったので、奨学金が支給される4年の間に卒業しなければいけなかったというのも結果的によかったのかもしれません。ハーバード大学での学問は大変でしたが、良い教師たちに恵まれたことも大きかったです。
その延長として筑波大、東大の教授があるんですが、3番目の転機は東大法学部の教授として呼ばれたことです。大変というよりもこれは新たなチャレンジでした。
そして4番目は現職でもある政治家になったということです。 この4つの決断が私自身の人生そのものを形づくっています。
これまでを振り返ると、自分が人生を選択した時には、必ず120%の努力をして切り拓いてきました。その努力を見ている人は少ないけれど、見ている人達の期待値を必ず超えていく。そうすると、また次の舞台が用意されているという、その繰り返しではなかったかなと思っています。大きな飛躍のチャンスにはリスクがあります。リスクがある時に、逆境だからこそ、どん底で捨てるものが何も無いからこそ、初めてチャレンジができるのです。
私の中でこれまで一貫してあるのが、幼い時からの3つの夢です。それは、「小説家になること」、「政治家になること」、「牧場経営をすること」。夢があることが大事で、夢がないと自分の人生の判断もできないと思います。
澁谷:知事の著書にもありましたが、アメリカでの語学研修時に英語を1カ月で話せるようになり、6カ月の仮入学期間の中で、最初の試験でストレートAの成績を取り特待生となるなど、短期間の集中力はすごいものですね。また、子どもの時から新聞配達をしていて、そこから新聞を読む習慣ができたというところも興味深いです。
知事:もう後がなかったからこそ、こういう結果に繋がったと思います。人生の「ここぞ」という時に徹底的にやりきったから今があって、もしそこで脱落していたら今の自分はないですね。
子どもの時に新聞だけは読みました。新聞を読む力、読書をする力がなかったら、高校までは全然勉強をしていなかったので、本当の落ちこぼれになっていましたね。
澁谷:まさに逆境の中にチャンスを見出したのですね。続いての質問になりますが、熊本県には美味しい食材が沢山あると思いますが、熊本県の農林水産物の特徴や、それを全国へ発信するための取り組みについて教えてください。
知事:熊本の農林水産物がなぜ美味しいかというと、阿蘇に降った雨が火山灰土に染み込み、地下水すなわちミネラルウォーターになっているからです。農林水産物は、ほとんど水から育まれているので、この熊本の天然水が食べ物を美味しくしていると言えます。
ただ、美味しいだけではPRにはなりません。鹿児島県は「黒」でイメージを出していますが、熊本は「赤」でプロモーションを実施しています。なぜ「赤」なのかというと、熊本県のトマトは生産量が日本一、また日本一おいしいと自負しています。あとはスイカやイチゴも特産品です。畜産物では「あか牛」や「天草大王」、水産物ではマダイやクルマエビなど多彩な「赤い」食材があります。
この熊本の「赤」を多くの人に知ってもらうため、一度「おいしい物を食べてくまモンの赤いほっぺが無くなった」という宣伝を打ち出した事がありました。赤いトマト畑や赤いスイカ、イチゴ畑等、「くまモンのほっぺは赤い作物の所に落ちていた」というストーリーになっており、この宣伝の効果もあって、かなり「熊本=赤」という認知度が高まってきました。熊本県の特徴を「美味しさ」と「赤」の掛け合わせと、その産地にくまモンが登場しているというインパクトでPRしています。
最近では「くまもとの赤」の第三弾として、「トマトラ(トマトのトラック)」の動画を配信していますし、全国区のテレビでも取り上げられました。これは、一番おいしい状態で味わってもらうため、トマトの株をビニールハウスごとトラックに積み込んで、首都圏まで届けるというものです。
お米についても、寒い地方の方が美味しいというイメージがありましたが、近年では熊本県のお米もトップブランドになってきています。昨年も熊本県は「森のくまさん」など3銘柄が美味しい(「一般財団法人日本穀物検定協会」による米の食味ランキングで「特A」)と評価されています。
また、昨年、熊本県で鳥インフルエンザが発生した際、熊本県は考えうる最短時間で鳥インフルエンザを制圧しました。その後、首都圏の新聞の一面を使って「熊本県は鳥インフルエンザを制圧」、「熊本県の食材は安全です」と記事を掲載し、テレビでも終息宣言を出すなど、風評被害の防止のためのインパクトあるアピールができたと思っています。
澁谷:いろいろなアイディアを採用されているのですね。熊本県には農林水産物以外の特産品も多いと聞いています。
知事:はい。熊本県は焼酎と日本酒が同時にできる珍しい県でもあります。先ほど熊本の「赤」を紹介しましたが、「赤酒」というのがあり、江戸時代まで熊本でお酒と言うと、この「赤酒」だったんです。このお酒はとても甘く、正月のお神酒として飲まれていました。今では、プロの料理人が使用する高級料理酒としても使われています。また、熊本は全国でも多くの酒蔵で使われている「熊本酵母」の発祥の地であり、最近では14年間の歳月をかけて熊本県でオリジナルの酒米「華錦(はなにしき)」を開発しました。ネーミングは、本県の食・農アドバイザーの小泉武夫さんから命名案をいただき、その中から熊本出身の放送作家である小山薫堂さんのご意見をもとに決定しました。今年から本格的な栽培が始まっており、熊本県を代表する酒米となることを期待しています。
それから「球磨(くま)焼酎」という、スコッチウイスキーやコニャックなどとともに地名を冠することを世界的に認められた数少ない焼酎のブランドもあります。
「熊本の水は美味しい」ことから、ビールの「サントリープレミアムモルツ」も熊本県で造られていますし、「菊鹿ワイン」はワインコンクールでも賞を受け続けているワインですが、希少で生産量が少なく、人気のためインターネットなどですぐに売り切れてしまうようです。
澁谷:『くまモン』など、熊本県はブランディングで大変成功されていると思いますが、きっかけはどのような事だったのでしょうか?
知事:知事:2011年春に九州新幹線の全線開業の際、熊本駅が通過駅として素通りされるのではないかとの危機感がありました。そこで官民連携した「新幹線元年委員会」が発足しました。その時、アドバイザーになっていただいた熊本出身の小山薫堂さんがアートディレクターの水野学さんへデザインを依頼し、くまモンというキャラクターが生まれました。始めは「くまもとサプライズ」というロゴデザインで、ビックリマークである「!」の方がメインだったのですが、水野さんは「おまけ」としてくまモンを考案してくれたのです。おまけだったはずのくまモンが、今では主役になっています。そう考えると、くまモン自体がまさに「くまもとサプライズ」なのです。
その後、関西方面での宣伝活動の一環として、私もくまモンやスザンヌさんと一緒に大阪の吉本新喜劇に出演し、「ズッコケ」たり、大阪・熊本で「くまモンファン感謝デー」を開催するなど、着実にくまモンファンの数を伸ばしていき、2011年の「ゆるキャラグランプリ」では見事全国1位を獲得しました。これにより、全国的にも認知度が高まりました。
今では「くまモン」を利用した商品の売上高が、昨年2014年には643億円にも上っています。
また、私が最近一番うれしかったことは、くまモンの和英・英和辞典が出来たことですね。学研教育出版からでている辞書で、くまモンのイラストがたくさん入っています。子どもが見たら今まで以上に楽しく勉強できるのではないでしょうか。
澁谷:くまモンを更にPRするために、「くまモンが失踪した」という緊急記者会見を知事が開かれたりしていますが、そういったユニークなアイディアは知事の発想から生まれるのですか?
知事:私のアイディアが全てではないです。県の職員やいろんな人からの意見やアイディアを聞き、そのような自由な発想を否定しないというところが、他と違うところだと思います。県庁の職員には『皿を割れ精神』といって失敗を恐れず何事にもチャレンジすることが大事だということを常々言っています。県庁全体にそのような精神風土が根付きつつあるのも、くまモン効果なのかもしれません。
最近では、私の著書である『私がくまモンの上司です』という本も、台湾・香港で翻訳版が発売され、海外でのくまモンの認知度も徐々に上がっています。また、台湾のセブンイレブンが現在約5,000店あるのですが、そこで買い物をした人に、熊本県の観光地入りの「くまモン小銭入れ」を配布するキャンペーン等も行われ、大変好評でした。
澁谷:国内だけでなく、中国方面や海外でもこれからくまモンが益々ブームになりそうですね。
知事:そうですね。くまモンの大きな成功の鍵の一つは「楽市楽座」にあると思います。
くまモンのイラストの利用料は無料にしています。ただ、いくつか条件があります。企業の場合は熊本の宣伝をするか、製品に熊本の原材料を使うということです。さきほどお話しした台湾の小銭入れのケースでは、一つずつ熊本県の観光地が入っていて良くできていますし、熊本県の観光PRにも効果的です。また「シュタイフ社のテディベアくまモン」や、「BMW社によるくまモンMINI」など、くまモンは世界中の企業ともコラボレーションして熊本を売り出しています。
こういった取り組みが広がることで、使用した企業側も熊本県も、双方での相乗効果が期待できます。
澁谷:そのような柔軟な発想があったからこそ、くまモンのブランド力向上と、経済の活性化、また熊本県の企業の支援にも繋がるという、三方向の相乗効果が生まれたのですね。
今日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
「地方銀行フードセレクション2015」に出展された「くまもとの赤」をご紹介します。
有明商事株式会社 | 株式会社お菓子の彦一本舗 | エヴァウェイ株式会社 |
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鮮やかな赤色の旨みたっぷり唐辛子! 「熊本県産一味とうがらし」 |
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